厚木にも「タイガーマスク」出現。もちろん善意もあったに違いない。しかしそれだけか? |「私もタイガー」善意の輪 神奈川や岐阜・長崎 寄付に共感広がる - 日経

日経11.01.10朝
・・・プロレス漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」を名乗る寄付が、岐阜市や神奈川県厚木市、長崎市の児童養護施設などでもあった・・・送り主の多くは伊達直人を名乗っている・・・厚木市の「厚木児童相談所」では9日朝、プラモデルやぬいぐるみなど玩具計22個が入った袋2個が駐車場に置かれていた。紙には「ランドセルでなくてごめんなさい。少しでもお役に立てばと思います」とあった・・・手紙に「群馬の件に感銘を受けた」「ニュースを見て私も参加した」・・・主人公を名乗る寄付に共感が広がっているようだ・・・

大変結構なことだ。しかも、厚木でも「タイガーマスク」が出現したそうな。

しかし、注目したいのはこの善意の行動そのものではなく、彼らがその行動を起こそうと思った動機の方だ。

もちろん善意もあったに違いない。しかしそれだけか?

厚木でも起こったことを思うと、自分もできるのじゃないか?と思わなくもない。そうすると、自分の行動もニュースで取り上げられるわけ?匿名だけれど、自分もヒーローになれるわけ?

もしこの善意の行動が普通に用意されていた寄付制度に対してのものであれば、100万円寄付してもニュースになるかどうかは大いに疑問だ。なら現物をポンと然るべきところに置いておけばニュースになるなら、数万円使っても惜しくはないかなぁ・・・などと思ったりする。

この自分の感情を客観的にみると、善意を行なう人々に対しては大変失礼だけれども、この「共感の広がり」方は愉快犯や犯罪事件の誘発と同じ構造を持っているのではないかと思える。

良くも悪くも、報道は人を動かす。報道機関はこの「共感の広がり」が、自分たちの記事に誘発されたものかもしれないということに気づいているだろうか。

善い行いの誘発は結構だけれど、悪い行いの誘発は御免被りたい。しかし、それなら誘発を避けるために悪い行いの報道は自粛すればいいのかといえば、そうでもない。

難しいところだけれど、要は加減の問題だろうか。

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