インドの国から生まれたゼロ 全てをつつむから形がまる そこには国も人も言葉もない - 「数かぞえ唄」 Tahnya Live at CLUB TOP'S湘南藤沢

先日、Tahnyaのライブが藤沢のCLUB TOP'Sで行われた。

この日はTahnyaのNEWアルバム「クラシック」が全国発売される記念すべき日で、このライブはその記念ライブという位置づけだった。

Tahnya.'10.12.07.CLUB TOP'S FUJISAWA ライブ全編 on YouTube

これをうけて、Amazonでの発売新宿のタワーレコードでも試聴台が設けられるなど、ファンとして喜ばしい限りだ。

「クラシック」の中でも特に好きな曲はこの「数かぞえ唄」だ。

こどもでもわかるシンプルかつ真似したくなる音感のことば。そして覚えやすいシンプルなメロディー。それでいて深いコクのあるドラマ性。さながら絵本の世界に誘われたような感覚に陥る。

例えば、こんな絵本。
琴線探査: 「ぼく ゆううつなんだ。」「どうしてさ。」「あしたのこと おもうとね。」ウケる。自分そのもの(^_^;) - 絵本「ふたりはきょうも」 アーノルド・ローベル作

これがたったの2分37秒程度の間に起こる。ビートルズの多くの楽曲もそうだけど、名曲は得てして短いものだ。







歌詞の一節にはこうある。

インドの国から生まれた”0(ゼロ)”
全てをつつむから形が”0(まる)”

そこには 国も 人も 言葉もない
どこかね それは こころと似てるみたい

すばらしい!

平和的すぎ?サヨク的すぎ?

そりゃぁ現実を見れば、尖閣の問題とか、北方領土の問題とか、北朝鮮の問題とか、この世には国と国、人と人の問題がたくさんありますよ。

しかし、そういった問題を解決していくためにもやっぱり、そこには国も人も言葉もない、結局のところ人はみな同じなんだという考え方を根底には持っていないと何も始まらないのじゃないか?と思わされる。

いや、もうこの単純な歌詞とメロディー、そしてこの純粋さというか何も考えてなさ加減を見ていると、そういうことを考えること自体がバカらしくなってくる。

「もうどーでもいいや。みんなでしあわせになろう。」と。

この「数かぞえ唄」は、「全てをつつむ」歌だと自分は思った。

コメント

  1. 小さい頃、世界中の人々の会話はどのように行われているのだろうと、私は不思議に思っていました。

    つまり、「ハバクシテミハ」みたいに(^^;)、外国の人が話す言葉は、音としても理解不能で、意味としても、自国の感覚に当てはまるものがないのじゃなかろうか、と考えていたんですね。

    でも、学校で、「おいしい」は「デリシャス(delicious)」とか「テイスティ(tasty)」などと言うと教わったときに、えらく感動したことを覚えています。

    つまり、美味しいと自分が感じる感覚と同じ感覚を外国の人も持つのだということを知って、使っている言葉(ツール)は違っても、地球上に住んでいる人間として、感じるセンスは共通なのだということが分かったんですね。

    多分、数かぞえ唄はそんな世界観かなと思います。

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