「やってることは何でもいいけど、オマエ、自分のやってることに命賭けてるか?」と問い詰められてる気がする | はてなの芸術十選 9 アートディレクター 長澤章生 - 日経

日経10.12.27朝
この切実さを見てほしい。コンピューターグラフィックスではない。・・・(通称エノチュー)がこの髪型でサラリーマンの日常を過ごしていた事実。・・・榎忠にとっての信念=芸術とは、日常生活の延長、もしくはその日常そのものなのだ。この作品は「芸術」に命を賭ける決意表明に違いない。・・・・駄じゃれである。日本の美術界に欠けているのはこういうユーモアのセンスだろう。・・・これは芸術なのか?などというちっぽけな問題を軽々と飛びこえ、日常を直接侵食・・・(1977年、カラープリント)

榎忠「ハンガリー国へハンガリで行く」日経記事より
すごい・・・マジで命賭けてるよ・・・しかもこれは1977年の作品らしい。

作品の着想がダジャレだろうが芸術と言えなかろうが、その命の賭け具合はそれだけで美しい。

この作品を見ると、「やってることは何でもいいけど、オマエ、自分のやってることに命賭けてるか?」と問い詰められている気がする。オレ自身はどうなのか?と思わざるを得ない。

ただ、こういった表現は自分が未熟なせいか、解説なしでは「すごい」とは思えなかっただろう。

このことは逆に、長澤氏のような目利きの存在がどれだけ重要かということを思い知らされる。

誰もがネットで無数の情報にアクセスできる時代ではなおさらだろうと思った。そこにGoogle対Facebookの戦いの本質があるのかもしれないとも思った。

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