政治屋は要りません。必要なのは政治家です。 | センセイの醜態 選挙至上の果て 国会崩壊 - 日経

日経10.05.28朝
・・・遅刻、内職、代返、ツイッター、校内暴力ならぬ院内暴力。見学の子供たちもあきれる醜態が国会では繰り広げられている・・・国民による議会監視の必要性・・・自民党の派閥会長は国会崩壊と選挙至上主義を嘆く。「選挙なのか。国会なのか。議員活動の目的がわからない」・・・

国民が選んだ代表がこの始末とは・・・日本国民として恥ずかしい限りだ。国民の代表がこの始末なら、一般国民も推して知るべしか?いや、まだ一般国民の方がモラルがあるのでは?こういったことは論外です。単純にご遠慮いただきたい。

ポイントは、議員活動と選挙活動の関係だ。現職議員が「選挙なのか。国会なのか。議員活動の目的がわからない」とおっしゃるとは情けない。

議員活動の目的はもちろん、国を良くするためだ。疑いようがない。

しかし、その議員活動をするためには選挙に勝たなければならないのも事実。いや、この「勝つ」という言葉はいけないな。「選挙で選ばれなければならない」が正しい。

選ばれるためには、いかに自分が国を良くできるかを、論理や行動などで示さなければならない。これは選挙活動で、現職議員でなくてもできる。

問題は、現職議員が「国を良くする」という議員活動の目的をわきまえず、議員活動の中に選挙活動を含めようとしていることだ。

これらは別物だし、別物でなければならない。なぜなら、議員活動が選挙活動に大きく影響するのであれば、これから議員になろうとしている人は議員になれなくなることを意味するから。この意味で議員活動に選挙活動を含めるのは職権濫用、不正行為といえるだろう。

もちろん、素晴らしい議員活動をすれば再選される結果を生むかもしれないけど、それはあくまでおまけ。再選されるために議員活動をするのはお止めいただきたい。そして、それは職権濫用や不正行為だという認識を持っていただきたい。

欄外にまた興味深い引用があった。

「政治屋(ポリティシャン)は次の選挙を、政治家(ステーツマン)は次の世代を考える」(ジェームス・F・クラーク=19世紀米国の牧師)

その通り。また、いつの時代も、どこの国でも起こりうる問題だということがわかる。そして国民はその都度、こう言わなければならないのだろう。

国民は政治屋を求めていません。国民が必要なのは政治家です。

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