出すぎた杭は打たれない③ MITメディア研究所副所長 石井裕さん

日経10.02.17夕
・・・石井さんは1980年に電電公社(NTTの前身)に入社・・・米国の計算機学者、アラン・ケイ・・・94年9月に米アトランタで開催された国際会議・・・クリアボードについて・・・話し終わった直後、ケイが歩み寄ってきて「君はメディアラボ(研究所)に行くべきだ。君の美学はメディアラボが求めているものと同じだ」・・・エステティクス(美学)という言葉を使って口説かれた・・・ニコラス・ネグロポンテ所長(当時)も来て、ケイの言うことに即座に同意・・・クリアボードは1メートル角ほどの広さのハーフミラーの画面を使った対話型通信装置だ。離れた場所にいる話し相手がスクリーンに映る・・・黒板のように画面にサインペンで絵や数式などを書き込める・・・相手がどこを見ているのか、視線の先を追えるのが大きな特徴・・・テレビ会議は相手が何を見ているのか伝わりません・・・日本では、製品化にいくらかかるとか、必要な通信容量はどのくらいだとか、よく尋ねられました。それに対し、ケイが評価してくれたのは美学・・・ケイやネグロポンテ所長は、表層の技術論ではなく、デザインの本質に共鳴し理解してくれた・・・NTTの研究所・・・比較的自由な研究環境・・・研究者個人が追い求める研究テーマについて午後8時以降に取り組むことが許されていた・・・シベリアの強制収容所で飢えを経験した父は言っていました。飢えると、0.5秒以内に目前のモノが食べられるか否かを判断し、次の0.5秒で口に入れていると。日本に欠けているのは飢餓感です。中国やインドから米国にやってくるハングリーな若者たちに勝てない理由は、飢餓感の欠如だと思います。(聞き手は編集委員 滝順一)

「美学」を英語では「エステティクス」というのか。エステと言えば、美容の事しか思いつかなかったが、本来はそういう意味だったらしい。つづりは「aesthetics」。美学者は「an aesthetician」。日本語でエステティシャンと言えば、大分違う意味だが(^^);

94年といえば、日本ではまだインターネットがほとんど普及していなかった頃だ。その頃にすでに「クリアボード」というグラフィカルチャットボードのような遠隔通信装置を実装していたわけだ。やはりすごい。

この「クリアボード」の魂は「相手の視線の先を追える」というところだろう。ここに美学があったのだと思う。日本人は金額やスペックの話ばかりだったが、ケイ氏やネグロポンテ氏が美学を評価したというところに彼らのグレートさを感じる。

NTTはGoogleのように自由研究の時間をもうけていたようだ。かなり先進的だったのではないだろうか。

日本人に足りないのは飢餓感。そうかもしれない。この平和で豊かな日本で生まれ育った自分には、そう簡単には得られそうにない感覚だ。

では日本人は負け続けるのか?ここは必ずしもそうではないと信じたい。平和で豊かな国に育った人間にだって、それなりの良さがあるはずだ。「ようは気合の問題なんだよぅ!」(by スレッガー中尉)

しかし、マーカー多すぎ。記事の全文40%くらいじゃないか(^^);

コメント

  1. 琴線に触れまくったってことですね(^^)

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  2. ああ・・・そういうことですね(^^)

    このブログの目的、ちゃんと満たしてるようです。

    自分がどういう人間なのか、だんだんとわかりつつあるようです。

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