「官主」から「民主」へ 本社主幹 岡部直明

日経09.09.14朝
・・・日本ほど「官僚」が浸透した国はない。ある役人は米国で自己紹介するにあたり「私は財務省の官僚(ビューロクラット)です」とやって、失笑を買ったという。官僚は日本ではエリートかもしれないが・・・米国の世間一般では形式主義と権威主義の代名詞なのである・・・政治家と官僚の本分はおのずと違う。マックス・ウェーバーは「職業としての政治」で官僚は「怒りも偏見もなく」職務を遂行すべきだとし、政治家の資質としては情熱、責任感、判断力の3つをあげている。・・・
官僚とは、形式主義と権威主義の代名詞か・・・

しかし、ドラマ「官僚たちの夏」を見ていると、昔の日本の官僚たちは違っていたと思う。きっと彼らなくして日本の復興はなかっただろう。本当に世界にまれに見る優秀さだったのだろう。彼らがエリートと呼ばれるのは、まったくもって納得だ。

しかし、マックスウェーバーの政治家の3つの資質「情熱、責任感、判断力」を考えると、彼らは実は官僚ではではなく、政治家だったのではないかと思う。政治家が持つべき能力を、官僚が持っていたのではないだろうか。

それなら官僚主導になるのは当たり前だ。要するに、もともとは官僚が問題だったのではなく、政治家が不甲斐なかったのだ。その政治家を選んできた国民にも当然責任がある。

しかし、時代は変わった。

若い官僚の中には「官僚たちの夏」に出てくるような意識をもった人が必ずいると思う。そういった人は今回の政権交代をむしろ喜んでいるかも知れない。

だから政治家も「官僚を使いこなす」などと高飛車なことを言わずに、世界でもまれにみる優秀さと志しある官僚達と一緒に、是非オールジャパンで問題解決に立ち向かっていただきたいと思う。

コメント

  1. そうですね。有能な力を惜しまずに是非「日本の未来」のためにじゃんじゃん出してほしいです。

    「官僚たちの夏」でどれだけ「日本の未来」「この国の未来」という言葉が出てくるんだろうと思いましたよ(^^)

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