北京から 公園は市民の音楽広場

日経09.04.20夕
・・・北京の街角で毎日のように目にする風景。中国の公演は市民が趣味を楽しみ、お互いに披露し合う社交場だ。・・・太極拳・・・太極柔力球・・・ハーモニカ演奏・・・音楽がきっかけで、世代を超えた人たちと交流できるのも喜び・・・

素敵な公園じゃないか。。。すごくいい文化だ。

かたや日本はと言えば、駅前でストリートライブをすれば「うるさい」「邪魔だ」と言われ、しまいには警察にまで注意される始末。なんて冷たいんだろう、といつも思っていた。

日本でも昔、原宿の歩行者天国でこういった事が行なわれていたと思うが、そこから産まれてきたスターは数知れず。街の活性化にも大きく寄与したはずだ。

しかしそんなホコテンも原宿では騒音、ゴミなどの理由で98年に休止されたようだ。最近でも秋葉原で防犯上の理由で休止されたのも記憶に新しい。

話はわかる。人が集まれば何らかの問題が起こるのは当然だ。しかし、どれも努力すれば何とかなる問題ばかりではないのか。そう、多分管理者は努力したくないのだ。自分の管轄で面倒を起こして欲しくないのだろう。これもわかる。

しかし、文化というものをもっと大事にすべきではないだろうか。その管理努力の末にどんな面白い事が起こるかわからない。この管理は単なる管理ではない。何かを始めようとする人を応援する気風作りや、街の活気や経済に貢献する尊い仕事なのだ。

中国はカオスかも知れないし、管理が行き届いていないかも知れないが、パワーにあふれていると感じる。そういったカオスなところに腹の底から沸き上がってくるような社会のパワーの源があるように思えてならない。

この不況下だからこそ、もう一度ストリートの文化を考え直しても良いのではないだろうか。立川や海老名では規制が強くなる傾向の一方、すでに川崎や厚木ではこれに気づいて行政が取り組みを始めたようだ。

日本中がもっとストリートパフォーマーでいっぱいになって、公園や駅に行けば、誰かが何かを見せてくれる、新しい発見がある、出会いがある、といった事になれば素敵だと思う。

これは金をそれほどかけずに日本を元気にする一つの方法だと思う。

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